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カルロ (カラブリア公) : ミニ英和和英辞書
カルロ (カラブリア公)[こう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate

カルロ (カラブリア公) : ウィキペディア日本語版
カルロ (カラブリア公)[こう]

カラブリア公カルロCarlo, Duca di Calabria, 1298年ナポリ1328年11月9日)は、ナポリ王ロベルト・ダンジョヨランダ・ダラゴーナアラゴンペドロ3世の娘)との息子である。
ナポリに生まれ、父ロベルトの認可を得たおかげで1309年カラブリア公となった。また王国の将軍代理にもなった。父の意図では1315年にフィレンツェの援軍の隊長として派遣しようとしていたが、最終的にはロベルトは決定を変え、任務を王弟ターラントフィリッポ1世に渡した。そのナポリとフィレンツェを含んだ同盟はモンテカティーニの戦いで敗れた。
1316年にハプスブルク家ドイツ王アルブレヒト1世の娘カタリーナ(イタリア語名カテリーナ、1295年 - 1323年)と結婚した。その死後、フランスフィリップ6世の異母妹マリー・ド・ヴァロワ(イタリア語名マリーア、1309年 - 1332年)と再婚し、5子をもうけた。
* エリオーザ(Eloisa, †1325年)
* マリーア(Maria, 1326年 – 1328年)
* カルロ・マルテッロ(Carlo Martello, 1327年4月13日フィレンツェ - 1327年4月21日
* ジョヴァンナ・ダンジョ(Giovanna d'Angiò, 1328年1382年
* マリーア・ディ・カラブリア(Maria di Calabria, 1329年 – 1366年) - アルバ女伯。ドゥラッツォ公カルロと結婚
1325年のアルトパーショでのカストルッチョ・カストラカーニの勝利により、フィレンツェ人はカルロを「市のシニョーレ」に選出した。カルロは10年間その職に就いたあと、1326年に離れ、1327年に神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世イタリア遠征のためナポリに戻らされた。
1328年の死後、娘のジョヴァンナが女王となった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カルロ (カラブリア公)」の詳細全文を読む




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